中山道を行く・岩村田から望月へ
2010年 03月 28日
久しぶりに晴れた佐久平を岩村田宿から望月宿まで、今回参加者は4名、自宅からの歩行距離も含め、
約26278歩の行程。前回より歩行数が多いのに、ウォーキング用のポールを使って歩いたせいか、足への負担が少なかったように感じる。信玄の墓所といわれる「龍雲寺」を先ず最初に訪れた。寺脇に矢ケ崎家の墓所。高校の同期生の家の墓所だそうだが、他に墓は無く、信玄の霊廟を守るかのように建てられているのは、どういう由緒なのか?今度会ったら、詳しく聞いてみなければなるまい。次は今回参加者である、旧姓依田さんの菩提寺である西念寺へ。彼女の生家は岩村田宿で問屋を開業していた「依田清左衛門家」小諸藩5万石時代の藩主仙石秀久公の想像していたよりかなり小さい墓のすぐそばに墓所がありついでにお参り。
甲州街道と中山道の分岐点から塩名田宿を目指す。栄泉の浮世絵に描かれた「相生の松」は、代替わりのものとなってしまったが、深谷の「見返りの松」よりは立派かなと思う。雪を頂いた浅間連山、蓼科山、八ヶ岳、金峰山と360度パノラマの雄大な景色を眺めながら、田んぼの広がる佐久平を行く。藤村の「千曲川旅情の詩」の中の~旅人の群れはいくつか畑中の道を急ぎぬ~が髣髴としてくる。1.2ケ所迷いやすい場所も有ったが、おおむね中山道歩きのための道路標識も整備されていて、安心して歩けた。町並みの保存にも熱心なようで、歩いて楽しい地域であった。わかり難い標識のあった場所で、笹薮の中を歩いてしまったのも、笑い話として許せる。古道として残存しているところも歩いてみたが、昔の道はこんなに狭かったのかと、いまさらながら思う。車でさっと通り抜けてはもったいない。それにしても昔の人の健脚は驚異だ。瓜生坂、われわれは下りでもきつかったが、登りだったらもっと根を上げるだろうな。
約26278歩の行程。前回より歩行数が多いのに、ウォーキング用のポールを使って歩いたせいか、足への負担が少なかったように感じる。信玄の墓所といわれる「龍雲寺」を先ず最初に訪れた。寺脇に矢ケ崎家の墓所。高校の同期生の家の墓所だそうだが、他に墓は無く、信玄の霊廟を守るかのように建てられているのは、どういう由緒なのか?今度会ったら、詳しく聞いてみなければなるまい。次は今回参加者である、旧姓依田さんの菩提寺である西念寺へ。彼女の生家は岩村田宿で問屋を開業していた「依田清左衛門家」小諸藩5万石時代の藩主仙石秀久公の想像していたよりかなり小さい墓のすぐそばに墓所がありついでにお参り。
甲州街道と中山道の分岐点から塩名田宿を目指す。栄泉の浮世絵に描かれた「相生の松」は、代替わりのものとなってしまったが、深谷の「見返りの松」よりは立派かなと思う。雪を頂いた浅間連山、蓼科山、八ヶ岳、金峰山と360度パノラマの雄大な景色を眺めながら、田んぼの広がる佐久平を行く。藤村の「千曲川旅情の詩」の中の~旅人の群れはいくつか畑中の道を急ぎぬ~が髣髴としてくる。1.2ケ所迷いやすい場所も有ったが、おおむね中山道歩きのための道路標識も整備されていて、安心して歩けた。町並みの保存にも熱心なようで、歩いて楽しい地域であった。わかり難い標識のあった場所で、笹薮の中を歩いてしまったのも、笑い話として許せる。古道として残存しているところも歩いてみたが、昔の道はこんなに狭かったのかと、いまさらながら思う。車でさっと通り抜けてはもったいない。それにしても昔の人の健脚は驚異だ。瓜生坂、われわれは下りでもきつかったが、登りだったらもっと根を上げるだろうな。
by hanahenro
| 2010-03-28 10:12
| 中山道